舌診断

口腔の症状から全身をみる

口腔には全身の異常が現れる

嶋田 そもそも口腔とくのは、軟組織と硬組織が入り混じっているところで、脳神経が集中しており、そこに食べ物や唾液などによる局所刺激が加わっています。唾液の分泌や末梢循環、粘膜の温度など、自律神経の影響も大きく、また漢方でいう寒・熱・燥・湿の状態が入り混じった複雑な環境であるといえます。さらに、心理的な要素が入ってくると、西洋医学的なアプローチだけでは限界があるように思います。そこで、まず漢方医学の基本となる考え方について、山口先生からご説明いただけますでしょうか。
山口 漢方医学では、身体をまず「気・血・水」 の面からとらえ、それらがきちんと巡ることが大切であるとしています。「気」というのはエネルギーのことですが、これには先天的なエネルギーと後天的なエネルギーがあります。先天的なエネルギーは、生まれつき「腎」に蓄えられていますが、後天的なエネルギーは「脾胃」から吸収され補充されます。「血」はおよそ血液であると考えます。「水」は血以外の体液のことで、唾液・消化液・リンパ液などが含まれます。この「気・血・水」を西洋医学的に解釈すると、実は神経系・内分泌系・免疫系であるということができます。神経系は気に、内分泌系は血に、免疫系は水に対応すると考えられるので、「気・血・水」の異常を神経・内分泌・免疫系の異常ととらえ直すとわかりやすいのではないかと思っています。
 また、漢方医学の陰陽論からみると、口の中の環境は、先ほど嶋田先生がおっしゃったように、寒か熱か、湿か燥かというバリエーションがあるので、「気・血・水」とともに考えていくと非常に面白いことがわかってくると思います。
 さらに、五臓の状態が舌や口腔に影響するといわれ、『黄帝内経』に、「脾は口に開竅す」「心は舌に開竅す」「腎脈は咽に連なり舌本に係る」「両頬、歯齦は胃・大腸に属す」と記載されています。開竅とは「穴をひらく」という意味ですから、「口は体の窓」といわれる所以です。
嶋田 口腔は、食べることや呼吸することに直接関係していて、全身の入り口であると同時に全身の症状が現れるところだといえますね。全身的なことも含めると、患者さんにも説明がしやすいですし、他科との接点にもなりうるので、非常に幅の広い分野だと思います。

漢方医学のよさはここにある

嶋田 一般的に、西洋医学は大部分の人に通じるような普遍性を重んじる医学ですが、漢方医学は一人ひとりの事情や特殊性を重んじ、「証」に随った随証治療を行う医学です。問診では日常生活上の大事なこと、例えば睡眠・食事・便通などの他に、心理的な面も入ってくると思いますが、小池先生は西洋医学と漢方医学のアプローチの違いについて、どのように考えられていますか。
小池 同じ病気なら、だれがどこで治療しても同じような結果になるという西洋医学的なEBMは大切なことですが、やはり患者さんの個体としての状態や、置かれている環境がどういうものなのかを個別にみて治療していくことが必要だと最近特に思います。
 例えば、よくみられる舌痛症や顎関節症は、心理的な要因で気・血・水のバランスや五臓の働きに乱れが生じて、症状が出ていることがあります。最近多いのは、中高年の生真面目な女性の患者さんで、家事を完璧にやろうと頑張りすぎて症状が出ているのに、それを本人は少しもストレスと思っていないケースです。毎日三食をきちんと作って、家の中をきれいにしておかないと気がすまない、自分がそうするのが当たり前だと思っている人が多いのです。そういう人には「少しずる休みをして、ゆっくりしましょう。たまにはご主人や息子さんにもご飯を作ってもらうようにしましょう」と話して、養生を勧めます。昔から「歯を食いしばって頑張る」とか「怖くて口の中がカラカラに乾く」などの表現があるように、口というのは心と密接につながっているのですよ、と患者さんに説明すると、納得してくれます。「患者さんの症状」という一部分ではなく、1人の人間として全体をみながら治療法を考えていくのが漢方医学のやり方だと思っています。
嶋田 漢方医学的にみると、高血圧や糖尿病だけが生活習慣病とは限らなくて、頑張りすぎてしまうことや、歯ぎしりすることも生活習慣から来るものだと考えられますね。最近冷えている人が多いのも、お風呂に入らずシャワーだけですます習慣の人たちが増えたためだと思います。漢方医学のメリットは、そうした生活習慣のことも考慮に入れながら患者さんを治していくことができる点にもあるかもしれません。
山口 いま嶋田先生がおっしゃった冷えについてですが、鎮痛剤などの西洋薬を常用すると冷えが生じることもあります。そういう場合には、温める働きのある漢方薬を使うと鎮痛効果もあり、西洋薬を減らすこともできます。
嶋田 西洋薬には、体を温める作用をもった薬は少ないですからね。小池先生のところには、不定愁訴を抱えた患者さんがたくさんこられると思いますが、口腔疾患には、舌痛症や味覚異常など、自覚症状しかないものもあるのあで、治療が難しいと感じられることもあるのでなないでしょうか。
小池 そうですね。患者さんには、「他覚症状がないということは、透明人間を相手にしているようなものだから治療は難しいですが、一緒に頑張って治していきましょう。あなたがもっている治る力を上げるために漢方薬を飲んでみましょう。」と言って、対応するようにしています。普通の医師の場合は、抗うつ薬や抗不安薬を増やしていくしか方法がないと思いますが、漢方を知っていると養生とともに治療の選択肢を広げることができます。
嶋田 確かに西洋医学では、症状に合わせて薬を出すしかありませんね。お腹が痛ければ胃薬、頭痛には頭痛薬、というやり方では限界があります。漢方医学のメリットの1つとして、病気になる前の「未病」の段階で食い止められるということがあります。睡眠や食事などの生活習慣から症状をとらえることができるので、同じ症状でも、それが治っていくときのものなのか、固定してしまっているものなのか、それともさらに体が悪くなっていくときのものなのかを漢方的にみて、異なった薬の出し方ができるのもよいところです。

口腔の症状によく使う漢方薬
嶋田 西洋医学的なアプローチで治療に難渋する場合に、先生方はどのような漢方薬を使われることが多いでしょうか。山口先生は口腔がんの化学療法などの副作用に使われることが多いとおっしゃいましたが、もう少し詳しくお話いただけますか。
山口 口腔がんでは、放射線性の口内炎や化学療法による難治性の口内炎が非常によくみられ、その痛みをとるのに、立効散や桔梗湯、半夏瀉心湯を使うことが多いです。また食欲低下が起こるので、それに対しては十全大補湯や六君子湯などの補剤を用います。患者さんの栄養状態が改善してくると、西洋医学の治療が続けやすくなります。それから手術を前提とした自己血の貯血をすることがありますが、かなり体にダメージを与えるので、その際も十全大補湯や人参養栄湯などの補剤をあらかじめ使うと、赤血球の増加が早く、手術をスムーズの行えるということを経験しています。最近では、口腔乾燥症でシェ―グレン症候群の診断名がつかないものには、西洋医学的薬物がないので、五苓散・白虎加人参湯・人参養栄湯などの漢方薬を使って効果を上げています。味覚異常では、渋味のことを言われる方がけっこういますが、渋味は東洋医学の五味に入っていない感覚なので、これの治療には難渋します。味覚異常では、まず西洋医学的には亜鉛製剤を投与するところから始めるのでしょうが、渋味に関しては全く基準がないのです。ですから渋味を化学受容体の閾値の低下など痛覚のバリエーションの1つではないかと考え、加味逍遥散や補中益気湯を使ったりして対応しています。
嶋田 小池先生のところは特に難渋する症例が多いと思いますが、どのようなときに、どういった漢方を使われることが多いですか。
小池 舌痛症の患者さんによくみられる特徴として、中高年に好の女性で気の巡りが悪く、ヒステリー傾向があることが多いのですが、そういう方に甘麦大棗湯を使うとすぐによくなることがあります。最近は半夏瀉心湯を使うことも多くなりました。また口腔乾燥には五苓散や柴苓湯・半夏瀉心湯・黄連解毒湯などを使います。口腔内の異常感があるような場合は白虎加人参湯や麦門冬湯を使います。また、咬合異常感症の特徴として「苦しくて息ができない」というかたが多いのですが、梅核気に使う半夏厚朴湯が有効であることを経験しています。
嶋田 私は立効散をよく使っています。立効散は歯科適用で、使いやすい処方です。舌痛症や非定型の難治性の歯痛によく効きます。舌痛症では、食事をすると痛みが楽になるタイプと、食事をするときに痛むタイプがありますが、それらに対して立効散がどのように効果があるかを調べたところ、特に食事のときに痛みを伴う場合に非常に効くことがわかりました。三叉神経痛には、桂枝加朮附湯や五苓散をよく使います。口内炎には、半夏瀉心湯や黄連湯などを中心に処方しています。

診断から処方までをどうするか
嶋田 さて、実際に先生方は口腔疾患をどのように診断されているのか、おうかがいしたいと思います。
山口 私はまず心理テストの評価をもとに治療を開始しています。舌痛症や非定型顔面痛の患者さんたちには、CMI(コーネル・メディカル・インデックス)、STAI(状態・特性不安検査)、SDS(抑うつ尺度)などのテストをするようにしています。舌痛症患者のCMIでは、身体的自覚症状で疲労度・不眠傾向が高く、精神的自覚症状では怒り・不適応のポイントが高くなる傾向にあります。
嶋田 私のところも医療面接の前には、STAIとSDSそれからCMIをモディファイしたTMI(東邦メディカルインデックス)を必ず行っています。TMIは、のぼせや冷え、胃腸障害などの身体症状を見る項目もあって、漢方医学の症をみるときにとても役に立ちます。
小池 私は、以前はよく心理テストをやっていたのですが、最近はあまりやらなくなりました。まずは患者さんの話を時間をかけてじっくり聞くことを基本としています。また、聞いたことを、こちらがどれだけ理解しているのかということを患者さんにフィードバックするようにしています。そうすると患者さんは気分が楽になったと喜んでくれます。その上で、舌痛症ならば血液検査やカンジダ症の検査なども、もちろん行っています。
嶋田 山口先生はどのような検査をされていますか。
山口 私は唾液のα-アミラーゼの活性をみたり、口腔内の温度を測ったりするようにしています。自己血の脱血をした際に血管迷走神経反射(VVR)で患者さんの舌温が急激に下がるという減少を何例か経験したことがあり、舌の血流は自律神経系がコントロールしているのではないかと考えています。また、漢方医学の面からは、舌診や腹診を行って、一体評価した上で薬のセレクションに入るようにしています。特に舌診をうまく取り入れると、口と全身が連係しているということを実感できると思います。舌の臓腑分画というものがあって、肝の状態は舌側縁部に現れ、心の状態は舌尖部に現れます。舌側縁部と舌尖部は、舌痛症が好発するところです。肝鬱になったり、心が高ぶっていたりするのが舌の症状として現れていると考えられるので、薬の選択基準の1つとなります。
嶋田 歯科に来られる患者さんに、「お腹をみせてください」とはなかなか言いにくいですが、舌診ならやりやすいですね。
 ペインクリニックでは、問診などを通じて、よく患者さんの状態を把握して証に合った処方をするようにしています。寒冷で痛みが増強するという場合には呉茱萸や附子など温める生薬の入った方剤を選びますし、局所の熱感が強い場合は石膏や知母など冷やす生薬の入った方剤を選びます。血流障害がある場合は駆お血剤を使ったり、浮腫がある場合には利水剤で水を捌いたりすることを考えます。心因的なものがあれば、気剤や柴胡剤を併用するようにしています。

注意すべき基本的なこと
嶋田 私は、漢方薬でも副作用が気になるので、最初に漢方を処方した患者さんが二週間後にみえたときには、なにか支障がでていないか、よく確認するようにしていますが、先生方は実際に処方する場合に、どういったところに注意されていますか。
山口 私はまず寒熱を見極めることに重点を置いています。問診のときに、温かい飲み物と冷たい飲み物のどちらが好きか、冷房は好きか嫌いか、お風呂に入ると体の痛みが取れるかどうか、などをよく患者さんから聞くようにしています。その患者さんの体が冷えているのか熱がこもっているのかをきちんとみないと、誤った薬を出してしまう可能性があります。例えば冷えている人に石膏が入った方剤を出してしまうと、さらに冷えてしまい、非常にまずいわけです。また、歯科では口内炎などに半夏瀉心湯をよく使うと思うのですが、そこに入っている黄連と黄ごんの組み合わせは熱を冷ます効果が強いので、患者さんに実熱がないのであれば、黄連と桂枝が入っている黄連湯にするなど、使い分けを考えます。それから黄ごんが入っている方剤を連用する場合は、間質性肺炎や肝機能障害のことも念頭に置かなければならないので、ときどき検査してチェックすることが必要です。また甘草が多く含まれている桔梗湯などでは浮腫や偽アルデステロン症が出ますが、意外と知られていないのは血圧が上がることです。ですから高血圧の患者さんには甘草の量が多いものはやや少なめに出したり、1日3回服用するところを2回にしてもらったりしています。桔梗湯の場合は、うがいに使うようにして、あまり飲まないようにしてもらうこともあります。

嶋田 生薬で私が気をつけているのは、麻黄・大黄・地黄など「黄」の字がが入っている生薬です。麻黄は心疾患・高血圧に、大黄と地黄は胃腸障害に注意をします。まさに黄信号でわかりやすいので、教室でもそう教えています。また附子は熱性なので新陳代謝を促進しますし、山口先生がおっしゃったように甘草は浮腫や低カリウム血症の心配があります。人参もまた血圧が上がります。それから、意外なのは桂枝のアレルギーがあることです。ですから、患者さんにはシナモンが入っている八つ橋などを食べて発疹が出ることがないかどうかを聞くようにしています。小池先生はいかがですか。
小池 基本的には今先生方がおっしゃったようなことと同じですが、患者さんには、「漢方薬にも相性がありますから、むくみや空咳、下痢・便秘など、何か異変があったら必ず服用を止めてください」とお話しています。最初の2週間はまず1包だけ寝る前に試しに飲んでいただいて、それで何か調子が悪くなるようだったら、他の処方に変えるようにします。最初は飲めたのに、途中で味が変わって飲みにくくなったときにも処方を変えています。
嶋田 季節の変化によって体調が変わることもあるので、ダラダラと同じ処方を出すのではなく、ときどきは血液検査などを行いながら、処方を変えていくことも必要でしょうね。

患者さんに飲みつづけてもらうために
嶋田 なかなか漢方薬が飲めない方もいて、アドヒアランスの問題もあると思いますが、その点についてはいかがでしょうか。
小池 熱いお湯に溶いて飲むのが苦手という方はよくいます。口腔内に痛みがある場合、食事などの刺激で痛みが強くなるタイプの方は、口腔乾燥などの症状も強いことがありますから、漢方薬も滲みることがあります。そういう人には、無理して熱いのを飲まないで、少し冷ましてから飲んでみるように言います。口に含んで、モグモグと含嗽してから飲み込むように指導すると、楽になったという方がいます。
嶋田 漢方薬を溶かして口に含む含瘡という方法は、歯科領域ではよくやっていますが、一般的には特殊な服用の仕方かと思います。私は舌痛症や非定型歯痛に立効散をよく使いますが、普通に飲んだだけでは効き目が弱いので、お湯でよく溶かして冷ましてから1,2分口に含むように伝えています。働いている方などで、その都度お湯に溶かすのが難しい方には、小さめのペットボトルに1日分を溶かしてよく振って使うように言っています。立効散は苦い薬なので、飲むのが難しい人には含嗽だけでもよいとしています。歯科領域では、立効散の他に、桔梗湯や半夏瀉心湯を含嗽で用いることがよくありますね。悪性腫瘍で、放射線治療や化学療法の副作用で口内炎ができて痛がる人には、漢方薬を溶かしたものを氷にして口に含ませるとよいと聞いたこともあります。
小池 最近よく思うのですが、患者さんに「これを飲んで治るんだ」という気持ちがあると、漢方薬の効果にさらにプラセボ効果が加わって、よいような気がします。ただし、患者さんには「飲まなくでもよい」という逃げ道を与えておくことも必要なのではないかと思います。つまり「これをきちんと頑張って飲まなければいけない」と思って、調子が悪くなっても無理をして飲んでしまうようなことがないように言っておくことも大切です。
嶋田 そうですね。患者さんが飲まないということは、それだけよくなったということもあるかもせれませんしね。
山口 私もよく患者さんが「薬が余っています」というときには、「それじゃ飲まなくてもいい日があるようになったんだね。飲み忘れるようになったら薬からの離れ時ですよ」というお話をします。そうすると、やはり患者さんも「よくなっているのかな」と思って安心するようです。
嶋田 患者さんを励ましてあげることも必要ですね。それでは、それぞれの症例を紹介していただくことにしましょう。

舌痛症-半夏瀉心湯、のちに甘麦大棗湯が有効だった例(小池)
小池 1例目は一般的な舌痛症の患者さんで、67歳の女性です。3カ月前に他の歯科医で義歯を支えるための装置を装着したところ、舌に当たり、ピリピリした疼痛が出現し、装置をはずしたのに疼痛が軽快しないため、受診されました。局所には軽度の炎症症状がみられましたが、触診で疼痛を訴えられることもなく、血液検査などの結果も問題はありませんでした。舌痛症と診断をして半夏瀉心湯1日1包を試しに服用していただいたところ、飲みやすい飲みやすいとのことだったので、1日2包を処方しました。2週間後には、痛みは半分くらいにいなったとのことでしたが、3回目の来院時に、半夏瀉心湯の味が少し変わって飲みにくくなったということでした。その時点で、局所の炎症症状は改善していたので、患者さんの証が変わったのだと考えました。咽頭口蓋反射の消失や問診から、ヒステリー傾向が疑われたので、甘麦大棗湯を1日1包で出してみました。4回目の来院時には、甘麦大棗湯は甘くて飲みやすく、舌痛も前に比べて楽になったということでした。そこで1日2包にしたところ、4週間後には症状がなくなりました。これは味が変わると、確かに証も変わっているのだということを実感した症例です。

咬合異常感症-半夏厚朴湯が有効だった例(小池)
小池 59歳、女性の咬合異常感症の症例です。2年前に補綴物を作ってからかみ合わせが悪くなって、気分が悪いということでした。その後1年くらいかけて咬合治療を継続したのに改善せず、食べ物の咀嚼ができなくて、辛かったそうです。そのため、他の歯科で咬合調整をしてもらって、一時的によくなったらしいのですが、また歯が動揺したので、再度咬合調整を受けたところ、軽快していた噛み合わせが再び悪くなり、何回治療しても症状は悪化する一方で、当科に紹介されて来ました。来院時は、精神的にも辛くて、心療内科に通院してミルナシプランを投与されているとのことでした。CMI,SDS,MAS,KMIなどのテスト結果からは神経症やうつ状態の存在が考えられました。初診時には咬合異常感の訴えが非常に強く、こちらにワーッと迫ってくるような感じがして、思わず逃げたくなるような気がしました。梅核気のように咽が詰まる感じがして、息が苦しいという訴えがあったので、半夏厚朴湯を1日1回服用してもらったところ、服用しやすいということで、7日後には2包に増やしました。2週間後には、現在の入れ歯で少し噛めるようになったので、ミルナシプランを勝手に止めてしまったということでした。半夏厚朴湯は、ハーブティーを飲んでいるようで体がポカポカして気分が非常によくなるということでした。香りのよい厚朴が入っているからかもしれませんが、効く方はよくこういう言い方をされます。さらに2週間後に来院したときには義歯で普通にものが噛めるようになり、6週間目には症状が消失したということで、その後3ヵ月くらい飲んでいただいて廃薬となりました。新しい義歯を作って用意していたのですが、必要なくなり、こんなに漢方薬が効くものなのかなと実感した症例です。
嶋田 噛み合わせがおかしいという患者さんは本当にたくさん来ますね。たわしの印象では、半夏厚朴湯が合う患者さんは、なにか「硬い」感じの人が多いですね。表情が硬かったり筋肉が緊張していたり、精神的にも硬くて迫ってくる感じがします。咽頭異常感や梅核気で息がつまると訴える患者さんが多いのですが、特に梅核気がなくても半夏厚朴湯が適応になるようなものもあるでしょうか。山口先生、いかがでしょう。
山口 半夏厚朴湯を唾液分泌過多の患者さんに使うことがあります。半夏には胃の水分を除く働きがあるので、唾液も除いてくれるのではないかと思って、半夏厚朴湯を使ったところ、サクソンテストの値が4g以上出ていたのが半分くらいまで下がった経験をしたので、使うようになりました。唾液を飲みこまないと気持ちが悪い、しかし飲み込むとゲボゲボするというときに半夏厚朴湯はよく効きます。

顎関節症(心気症)-半夏厚朴湯と抗不安薬の併用が有効だった例(小池)
小池 60歳の女性で、主訴は「下顎が食道の方に引っ張られる」というものでした。2年前に左顎に疼痛を感じたため、歯科で咬合調整を受けた後からこの症状が出たそうです。就寝時にミニスブリントを入れたり、あちこちの歯科にかかっがりしても症状は改善せず、呼吸困難感も出てきて、紹介受診となりました。よく話をうかがうと「舌が舌に引っ張られて胃の中でクルクルっと回って戻ってくるような感じ」という表現をされ、心気的で、ご自分の辛さをぶつけるように訴えていました。心理テストは拒否されました。呼吸困難感や舌が舌に引っ張られる感じというのは、咽喉頭周囲の筋のスパスムスで、それを梅核気ととらえることもできるのではないかと考え、半夏厚朴湯を1日2包を抗不安薬のロフラゼプ酸エチル(就寝前1mg)を出しました。診断は顎関節症で心気症としました。2週間後の来院時には呼吸困難は消失し、他の症状も改善傾向がみられました。抗不安薬は途中で止めてしまって半夏厚朴湯と心理療法だけで、8カ月で治療終了となりました。
嶋田 先生のところには、抗不安薬や抗うつ薬などを飲んでいる患者さんがこられると思いますが、そういった薬と漢方を併用する場合は、なにか注意すべきポイントはありますでしょうか。
小池 私は漢方をなるべく少なめに出すようにしています。1日3包出すことは少なくて、ほとんど2包で様子をみます。また、私が出した薬のことは、必ず内科の先生に言うように指示しています。それから、抗うつ薬を減らした直後に舌痛が出てくることが多いので、そのあたりの話もよく聞くようにしています。

Bruninng Mouth Syndrome (BMS)-補中益気湯と当帰芍薬散が有効だった例(山口)
山口 Burning Mouth Syndrome(BMS)は、口の中の粘膜に器質的異常はないのに、舌や口腔内のあちこちに疼痛が出る疾患です。一般的には、舌に限局した場合には舌痛症と言われています。52歳の女性の上下歯肉部の疼痛の症例です。この患者さんは歯科で歯の治療をして抜歯をした後から口の中のあちこちや舌も痛くなったということでした。鎮痛剤を山のように飲んでも効かず、ぐったりした状態で「死にたい」と言って外来に来られました。初診時のVASスケールは84でした。腹診では、お臍のところの動悸が強く、また水を少しずつ飲みたがる口乾の状態だったので、虚証の痛みと考え、BMSと診断しました。補中益気湯と当帰芍薬散を合わせて飲んでいただいたところ、5週間後には痛みがゼロになりました。口の中全体の温度と舌の温度もバランスがとれてきたので、自律神経系の異常だった可能性もあると思います。
嶋田 補中益気湯と当帰芍薬散を合わせて処方されることはよくあるのですか。
山口 口内炎や非定型歯痛にもよく使います。
嶋田 処方されるときには、どのようなことを基準にしておられますか。
山口 私は舌痛症の患者さんに、頭痛や不眠がどの程度あるのかを調べたことがあるのですが、やはり頭痛と不眠の両方をもっている人が多く、さらにその中でも虚証に傾いている人がかなりいました。その場合、補中益気湯で気は上がっていくのですが、めぐらせる力が足りない。気・血・水を一気に動かしていくのには、当帰芍薬散を合わせたらよいのではないかと考えました。実際に使ってみると、患者さんには好評でした。あとで調べてみると、中国の古典『衛生宝鑑』に出てくる順気和中湯によく似た処方であることがわかりました。順気和中湯は虚証の頭痛の人に使う薬であると記載されています。
嶋田 だんだんよくなっていくに従って、加味逍遥散を使われることも多いかと思いますが、いかがでしょうか。
山口 そうですね。気力と体力がある程度回復してくると、補中益気湯合当帰芍薬散より加味逍遥散がよいこともあります。補中益気湯合当帰芍薬散の生薬構成は、加味逍遥散に似た部分がありますが、加味逍遥散には山梔子や薄荷が入っていて、気を発散させる働きもあります。血も水もダウンしていた状態が改善してきて、次は少し発散させる方向にもっていきたいときに加味逍遥散を使うようにしています。

がん治療後の口腔乾燥-人参養栄湯が有効だった例(山口)
山口 73歳の女性で、舌がんの治療後に口腔乾燥と食欲不振を訴えて来られた症例です。放射線治療40Gyを受け、テガフール含有抗ガン剤を内服し、手術も受けて退院されましたが、術後6カ月で舌の疼痛・口の乾燥・食欲不振、ときどき口内炎ができるということを訴えられました。診察してみると、本当に唾液の分泌が悪く、目も乾燥し、涙液も出ないという状態で、シェーグレン症候群を疑うくらいでした。舌がんの治療は無事に終わっているのに、食欲が落ちてご飯が食べられず、全身倦怠もあったので、人参養栄湯を使ってみました。1日6gから使い始めたのですが、2週間後には食欲が改善し、サクソンテストで徐々に唾液が出るようになってきて、退院後10カ月頃には、3.6gまで唾液の分泌量が増えました。また舌の乳頭の萎縮も取れて、口内炎も出なくなってきました。今は、よく食べて元気になり、赤血球数も上がってきています。術後は、貧血もあり抗がん剤投与が続けられなくなっていたのですが、人参養栄湯を入れることによって再び抗がん剤を飲めるようになりました。今は非常によい状態を保っています。食べられないと、気虚の状態が続いて、粘膜の萎宿が起こったり口内炎も出やすくなったりします。
嶋田 人参養栄湯は、在宅医療で患者さんを治療するときにも大変役に立ちそうですね。十全大補湯もよく使われる補剤ですが、人参養栄湯とどのように違うのでしょうか。
山口 人参養栄湯は、十全大補湯から川キュウを抜いて、五味子・遠志・陳皮を加えた方剤です。川キュウは、血を上に回す作用が強いといわれていますが、それを抜いて五味子・遠志・陳皮を加えることによって精神を安定させ、消化管運動を促進し、脳と腸の相関を作る作用が強くなっています。人参養栄湯の出典である『和剤局方』には、口や唇が乾き、骨肉がダランとして痛みもあるようなものに使われると書かれており、まさにがん治療後の体が弱ったときに出てくる精神症状・呼吸器症状を含めたさまざまな症状に使える薬です。十全大補湯は四君子湯と四物湯がベースになっているので、食欲を増進したり血を作る能力に優れた薬ですが、人参養栄湯はさらに気を巡らしながら脳腸相関までもっていく薬だと解釈しています。
嶋田 人参養栄湯を使う上で、なにか注意点などはありますか。
山口 人参養栄湯には、血糖コントロールの指標になる1.5・アンヒドロ.D・グルシトールが上昇するという報告があるので、検査値の変動には注意しておく必要があると思います。

アフタ性口内炎-白虎加人参湯と桔梗湯が有効だった例(山口)
山口 65歳、女性の症例です。3年ほど前から、しばしば多発性のアフタ性口内炎ができ、2年近く内科で治療していたそうです。6か月前には舌にも多数のアフタができたため、当科を受診しました。カンジダ検査が陽性だったので、アムホテリシンBの含嗽治療を開始しました。ところが、口腔内の疼痛が続いたために、自己診断で薬を中止し、舌・唇・頬粘膜にもアフタ形成を認めるようになりました。そこで再度当科を受診されました。実熱の存在を示す黄色舌苔がみられ、口渇、多飲傾向、手足のほてり、手掌発汗が著明でした。唾液分泌の減少をみられ、口腔乾燥に起因するカンジダ性口内炎が疑われました。そこで、清熱作用と滋潤作用のある白虎加人参湯と、消炎・清熱作用のある桔梗湯(含嗽)を投与したところ、2週間後にはアフタ性口内炎は軽減し、他の症状も軽減しました。その後、漢方薬にミコナゾールゲルを併用して、4週間後にはカンジダは消失し、アフタも認められませんでした。さらに8週間、漢方薬を続け、再発がなかったので、終診としました。

非定型歯痛-立効散が有効だった例(嶋田)
嶋田  64歳の男性で、8カ月前に左下顎の第二・第三臼歯を抜歯したあと、咀嚼時に鈍痛が出現し、NSAIDsなどの処方を受けても改善しないとのことで来院されました。視診では、口腔内に痛みの原因となるような器質的病変は認められず、同部の接触痛も咀嚼筋・顎関節部の圧痛もありませんでした。心理テストでは、中程度の抑うつ傾向がみられたので、非定型歯痛と診断し、立効散と一般心理療法を開始しました。初診時に50mmだったVASは、2カ月後にはゼロとなりましたが、治療は継続し、その1カ月後に終診としました。

口腔異常感症および舌痛症-立効散が有効だった例(嶋田)
嶋田 56歳の女性で、下顎前歯部の締め付け感と、舌尖部および左側舌縁部のピリピリした痛みが主訴でした。最初に口腔内の症状が出たのは約5年前で、歯科や口腔外科で治療をしても効果がなかったということでした。下顎前歯部の締め付け感は、疲れによって症状が強くなり、特に夜にかけて強くなるとにこと。また、舌の痛みは、熱いものを含んだり会話や疲れによっても増強すると言います。歯肉にも舌にも器質的病変はみられず、血液検査も異常がなく、カンジダも陰性でした。心理テストでは、中程度のうつ傾向・自律神経失調・高不安状態がみられたので、一般的心理療法と立効散で治療しました。立効散だけでも効果があったのですが、そこにさらに五苓散を足すことによって、治療開始1ヶ月後には、当初50〜100あったVASがゼロとなりました。

三叉神経痛-桂枝加朮附湯が有効だった例((嶋田)
嶋田 48歳の女性で、三叉神経痛の患者さんです。ペインクリニックには痛みの患者さんがたくさん来ますが、中でも三叉神経痛の患者さんは非常に多いのです。ファーストチョイスはカルバマゼピンなどの抗てんかん薬ですが、患者さんによっては眠気・ふらつき・めまいなどの副作用で飲めなくなることもあります。また西洋薬自体に抵抗感を示す患者さんも多く、そのような場合は、漢方単独で治療することになります。この方も桂枝加朮附湯だけで著効を得ることができました。便秘や肩こりがあり、冷えると疼痛が悪化するという状態だったので、桂枝加朮附湯で温めることによって鎮痛効果を得ることができました。桂枝加朮附湯は「胃腸にやさしい鎮痛薬」をいうイメージで最もよく使っています。特に疼痛が著しい場合に効果があると思います。
 ちなみに、桂枝加朮附湯の他に三叉神経痛によく使う処方としては、五苓散があげられます。MRI等で血管と神経の圧迫がみられたり、歯根や舌に浮腫がみられるときには、利水作用のある五苓散が有効です。

口腔内の症状によく使われる漢方薬(本鼎談を中心に)

症状・疾患            方剤
口内炎          立効散・桔梗湯・半夏瀉心湯・半夏厚朴湯・黄連湯・補中益気湯+当帰芍薬散
アフタ性口内炎     白虎加人参湯+桔梗湯(含嗽)
舌痛症          甘麦大棗湯・半夏瀉心湯・加味逍遥散・立効散
Burninng Moutu Syndrome(BMS) 立効散・補中益気湯+当帰芍薬散
口腔乾燥症       五苓散・柴苓湯・白虎加人参湯・人参養栄湯・半夏瀉心湯・黄連解毒湯・麦門冬湯
非定型歯痛       立効散・補中益気湯+当帰芍薬散
口腔異常感症      白虎加人参湯・麦門冬湯・立効散
味覚異常         加味逍遥散・補中益気湯
咬合異常感症      半夏厚朴湯
三叉神経痛       桂氏加朮附湯・五苓散
唾液分泌過多     半夏厚朴湯
顎関節症         半夏厚朴湯・加味逍遥散・桂枝加朮附湯





腎虚

T はじめに
 皆さま、「オーパーツ=OOPARTS」という言葉をご存じですか?英語の「Out-Of-Place ARTifactS」の略語で、「場違いな遺物」という意味です。オーパーツとしては、ナスカの地上絵や水晶ドクロ(クリスタル・スカル)等が有名ですね。それでは図1をご覧ください。図1-Aと図1-Bは『黄帝内経』(紀元前5世紀頃の医学をまとめたとされる中国最古の医学書)に記載された、老化に関わる男女の「腎の気」の盛衰を表したグラフです。「腎の気」を縦軸に、年齢を横軸とし2012年の日本人の平均寿命を最終点に設定しています。一方、図1-Cは1990年に米国の権威ある医学誌『Blood』に報告された日本人におけるSuperoxide dismutase(SOD)活性に代表される抗酸化力(縦軸)と年齢(横軸)の関係を表したグラフです。この論文の意味するところは、活性酸素などを消去する抗酸化力の低下が老化と密接に関連しているということです。気づいた方も多いと思いますが、図1-Aの「腎の気」の盛衰の軌道と図1-Cの抗酸化力の軌道は全く同じですね。この『Blood』誌の記事から遡ること2千年以上前の「オーバーツ」として、「腎の気」の低下が老化と関連するという考えがすでに提唱されていたということは驚きです。
 「漢方マイスターへの道T」(本誌通巻11号、2012)で解説しましたように、生命活動に必要なエネルギーである「気」には、親から受け継ぐ先天の気と食事から得られる後天の気とがあり、前者と密接に関わる臓腑が腎です。人間は下半身から老化するという話をしましたが、漢方医学において老化とは図1−Aや図1−Bに示していますように、生命活動に必要なエネルギーである「気」には、親から受け継ぐ先天の気と食事から得られる好転の気とがあり、前者と密接に関わる臓腑が腎です。人間は下半身かrか老化するという話をしましたが、漢方医学において老化とは、図1-Aや図1-B に示していますように加齢とともに「腎の気」の量が低下する。すなわち「腎虚」によるものと考えられます。高齢化が進む日本で漢方診療を行うわけですから、本稿で腎虚という病態をしっかり理解しましょう。

U 腎の働きと腎虚の自覚サイン
 腎は実質臓器である五臓の1つです。西洋医学で定義される腎臓と違う点として、東洋医学で定義する腎は臍から舌の臓器全てをふくむとイメージしてください。したがって、副腎・腎臓・泌尿器・生殖器・腰・臀部・下肢すべてが「腎」という臓腑の範疇に該当します。腎虚に陥りますと、臍より下の臓器機能が衰えていくわけですから、どのような症状が出現するか容易に想像できますね。東洋医学における腎の働きと腎虚による自覚的なサインを以下に列挙します。
@泌尿器としての腎
 腎は体内で利用された不要な水を膀胱へ運んで尿として排出させますが、一方で有用な水は再吸収して心を経由して肺へ輸送します。特に下半身から上半身への輸送による水の再配分は腎の重要な役割ですので、腎虚になりますと、頻尿や夜間尿が出現しますし、重力により下肢に浮腫(下肢の水滞)が生じたり、冷たい水が貯留するので下肢の冷えを自覚するようになります。
A生殖器としての腎
 東洋医学では「腎は精を蔵す」と考え、ヒトの生長・発育・生殖活動に関わっています。当然のことながら、腎虚になりますと性欲が低下します。
B西洋医学の腎・副腎系の機能としての腎
 骨髄や骨格形成に関与しますので、腎虚になりますと、下半身の運動器に関する症状、例えば膝や下肢の痺れを伴う疼痛等が出現します。
C耳とつながっている腎
 漢方医学では、腎は耳と経路でつながっていると考えますので、腎虚は難聴や耳鳴りの出現と深く関わっています。
 いかがですか、皆さまの受け持ち患者さんにもこのような訴えの高齢者が多いのではないでしょうか?このような訴えの患者さんには、膝を伸展させた仰臥位で腹部の触診(切診といいます)をしてください。そして、次に説明する臍下不仁(小腹不仁)・小腹拘急という所見の有無を確認しましょう。

V腎虚の他覚的サイン(臍下不仁・小腹拘急)
 さて、4年前に話題騒然となりました、脳外科医(俳優・大沢たかお)が江戸時代にタイプスリップするというTV番組『JIN-仁-』は皆さまの記憶に新しいですよね。腎も仁もどちらもJINと発音しますが、「腎は仁で評価する」と覚えてください。
 漢方医学では下腹部を臍下あるいは小腹(少腹)といい、臓腑・腎が影響する腹部領域と考えます。腎虚になるとこの部位が「不仁」となるわけですが、「不仁」には「力がない」や「感覚が鈍い」という意味がありますので、「臍下不仁」という所見は下腹部の虚脱した状態を意味します。また、腎虚の腹証として「小腹拘急」という所見もあります。(「拘急」とは緊張という意味です。)この臍下不仁と小腹拘急の組み合わせには、図2に示すように大きく2つのタイプがあります。タイプ1は下腹部の白線部分の腹壁が虚脱した状態です。これは下腹部腹直筋の厚さを保持したまま、腹直筋の幅が萎縮により狭くなるタイプです。下腹部の腹直筋自体は緊張がやや高まっているように触れます。加齢とともに下腹部への血流低下により腹直筋が萎宿するのですが、理論はわかりませんが厚みは保たれていますので、診察した医師は下腹部の白線部分の腹壁に容易に手を挿入出来るような感覚になります。私の拙い経験ですが、痩せた農家の高齢者にこの所見を多く認めますので、老いても野良仕事をするため腹直筋の厚さは保たれているのではないかと推察しています。さしずめ、このタイプ1は「昭和風・農村型の腹証」といえます。タイプ1の診断の仕方は、ロッククラミングをするときのような手恰好で上・下腹部の白線部分の腹壁を同時に両手で按圧し、下腹部に置いた医師の右手の方がより深く入るような感覚があれば臍下不仁・陽性と判定します。タイプ2は「平成風・都市型の腹証」といえます。加齢と運動不足により上腹部と比較して下腹部の腹直筋が薄くなるパターンで、現代の腎虚証の高齢者の多くがこのタイプの腹証を呈します。(まさに下腹部の腹直筋の虚脱した状態です)。このタイプ2の診断方法は、「ちょっと待った!」のポーズで、両手で上・下腹部の腹直筋を同時に按圧し、医師の右手、すなわち下腹部の方がより深く入る場合を臍下不仁・陽性と判定します。経産婦がタイプ2の臍下不仁を呈する場合で、按圧のみでは判断しづらいときは下腹部を軽くつねってみてください。臍下不仁のある患者さんは知覚鈍麻のため、ほとんど無反応です。
 さて、「漢方マイスターへの道U」(本誌通巻12号2012)で用いた胃癌患者127例の腹部CTデータでタイプ2の臍下不仁を検証してみましょう。タイプ2では下腹部の腹直筋が薄くなるため、腹直筋の筋膜前鞘と後鞘とが癒合する結果、白線部分が拡がったように見えますので(図2)実際に下腹部の白線幅を腹部CTで計測してみますと、さまざまな腎虚に伴う自覚的症状と関連することがわかりました。(図3)つまり、腰痛・膝痛・下肢の冷え・夜間尿を訴える患者さんの下腹部の白線幅は、訴えのない(腎虚のない)患者さんと比べて、有意に拡がっていることが明らかになりました。このデータを見ても「臍下不仁」は腎虚の診断上、大変重要であることがおわかりいただけるかと思います。
 腎虚の他覚的サインとして、もう1つ脈診所見(腎の機能を反映する脈として尺脈があり、腎虚ではこの脈が弱くなる)が重要ですが、私の経験不足のため、ここでは割愛させていてだきます。

W腎陰虚と腎陽虚
 「陰陽…、抽象的で厄介な言葉が出てきたぞ!」とため息をつかれる方も多いのではないでしょうか。しかし、難しく考える必要はありません。英国の医学雑誌『Lancet』に陰陽の解説がありますが、ご覧になりましたか?英語からのアプローチの方がシンプルで理解しやすいという方は『Lancet』から始めてもけうです。ここでは漢方入門者が混乱しないように、陰陽の2つの使い方を分けて解説します。
 まず、陰陽という言葉の意味ですが、古代の中国人は陰陽二元論という考え方に準じ、自然界の全てのものを2つの相反する局面や事象に分類しました。例えば、男(陽)と女(陰)や太陽(陽)と月(陰)のように、相反するものが存在することによりバランスが取れていると考えます。これが陰陽の概念の基本です。あとは、日本漢方と中医学で使い方が異なるので、そこを区別すればよいのです。
 日本漢方で使う場合は、陽証と陰証というように「証」という言葉を付加して用いますので、(「漢方マイスターへの道U」の図1をご参照ください)、すぐに判別できます。患者さんの状態の総合評価に用いると理解して下さい。陽証とは、実証のように気や血が充実して、病気の原因である病邪が侵入してきた場合、高熱などの強いリアクションを引き起こし比較的すみやかに病気が治癒するタイプです。それに対して、陰証は虚証と同様に気や血が不足しているため、病邪が侵入してきた場合のリアクションに乏しく、気づいたら重篤な病気に進展していたりして病気の治癒に長時間を要するタイプのことです。
 腎と関連する陰陽という言葉は中医学でよく使います。この場合、生体内での陰とは液体成分を意味し、陽とはエネルギーを意味します。この中医学的な使い方をする場合は、臓腑名に続いて陰虚、あるいは陽虚という言葉が付加されることが多いので、その臓腑の水分不足、あるいはエネルギー不足と理解して下さい。したがって、腎陰虚とは腎を巡る水が不足していますので、軽い脱水とイメージできます。症状としては、手足のほてり・口渇・イライラが出現します。腎陽虚とはk、腎そのものの機能低下を意味します、特に水の再分配機能の低下により、下肢の浮腫や冷えが強く表れます。
 なお、腎陰虚と腎陽虚に共通な症状や所見、つまり腎虚一般の兆候として、めまい・耳鳴り・難聴・夜間尿・下肢の痛みや痺れ・膝痛・腰痛・臍下不仁・小腹拘急があります。腎陰虚と腎陽虚の鑑別は症状で判断していただいてかまいません。つまり腎陰虚とは「ほてり」のイメージ、腎陽虚とは「冷え」のイメージです。
 さて、腎陰虚と腎陽虚の治療です。今、老人が温泉に入っていると想像してみて下さい。温泉に長く入っていると脱水になってきます。つまり、「ほてり」が出現し、腎陰虚を呈してきます。脱水(腎陰虚)だけでしたら、血液の濃縮を改善する生薬から成る六味丸を使います。六味丸の構成生薬である茯苓や沢瀉は血管へ水分を引き込みますし、牡丹皮は血液をサラサラにする作用がありますので、脱水(腎陰虚)治療にふさわしい漢方薬です。(この潤す効果を滋陰と呼びます)。
 しかし、本来、冷えに対し体を暖めるため老人は温泉に入っているわけです。温泉から出るとすぐに冷えて調子を崩す老人は、腎陰虚(あるいは腎両虚)であり、腎の臓腑としての機能が低下していますので、その機能を高めるような生薬を追加しないといけません。そこで六味丸の6つの生薬に附子末と桂皮を加え、血行をよくし温めて低下した腎機能を高めるように作られた薬が八味地黄丸となります。八味地黄丸は体の中(裏)から温めてエネルギー(陽)を補う薬ですので、温裏補陽剤というグループに属します。八味地黄丸を飲むと温泉は不要となるかもしれませんね(笑)。私の患者さんで、夏は下肢のほてりのため六味丸を服用して、冬は下肢の冷えが堪えるので八味地黄丸(附子を追加)を服用している方がいます。このように腎陰虚と腎陽虚の(あるいは腎両虚)は可逆的なのです。

X まとめ
 皆さま、いかがでしたでしょうか?東洋医学における腎の働き、加齢と腎虚の関系、腎陰虚と腎陽虚の違いを理解いただけましたでしょうか?最後に下記の項目を確認していただきますと「Kampo Meisterへの道Y」修得となります。

腎の働きを理解しましたか?
腎虚のサインは覚えましたか?
腎陰虚と腎陽虚の違いがわかりますか?
腎陰虚と腎陽虚の治療法の違いがわかりますか?











































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